【office force(オフィスフォース)
成熟した社会人と共に在る
"知的娯楽を提供する劇工房”を目指して】

劇団ホーム
ご案内
劇団員紹介
劇団の過去の公演
劇団員のブログ
メール
リンク
office force bbs
最新公演チケット販売

過去の上演


PURODUCE vol.1

『ハロルド・ピンター作『料理昇降機』より
”Who is...?”〜ぎゅう丼屋モーモーは、本日も営業中!』


1999年 10月  築地本願寺ブディストホールにて




登場人物・CAST
斉藤勘六  十河輝雄
モーモー店長。この道十五年。
基本的には頼りの無い人。
バイト連中からもばかにされている。
が、その人の良さ故、何となく憎めない。
環境問題にうるさく清潔感。
その点は頑固。
彼女いない歴三十二年の、三十二歳。

山岸ゆき 坂尾直子
モーモーパート社員。この道三年。
バツイチで子無し。結婚はもう考えておらず、
独立した女を目指していはいるが、
不況で就職が決まらず、
何となく始めたモーモーに居座っている。
姉さん肌の、三十歳。

三井正  黒石ひろゆき
モーモーバイト。この道八年。
高校生の時からモーモーでバイトを始め、
大学を卒業して、就職もせず、未だにバイトを続ける
バイトの主。
自分の将来に不安を抱いてはいるが、
生活を変えるとこまで行き着かない。
態度がでかい、二十五歳。

沢木誠治  おおさわしろう
モーモーバイト。この道五年。
売れないバイオリン奏者。腕はあるが売れない。
が、そのことに対してなんとも思っていない。
自由に生きていると思っている。
他人のことには興味がなく、
自分が楽しければそれでいいという、二十七歳。

上條愛  神谷奈津子
モーモーバイト。この道一年。
すぐに結婚するつもりで、
就職せず大学を卒業した、
結婚願望激強女。
顔は可愛いが性格に問題あり。
結婚すれば楽になると思っている。
ふられる度にバイトを変えてきた、二十六歳
森美樹  不動まゆう
モーモーバイト。この道三日。
新人バイトの女子大生。
変わり者で、動物好き。
人の話をあまり聞いておらず、
自分ワールドを展開してくる強者。
一生懸命にやるが、
当たり前のように間違えたりする。
放っとくと何しでかすか分からない二十歳。

松井秀樹  神崎裕介
モーモーバイト。この道一年。
基本的にパシリ的存在。あだ名はゴジラ。
コンピューター専門学校に籍を置いてはいるが、
ほとんど行っていない。
どうでもいいことをよく知っていて、
すぐウンチクを垂れる。
故にパシリキャラにされている。
典型的パシリな、二十歳。

ホームレス 小野恒裕
この芝居のキーパーソン。
構造上、第三の視点を担う。
基本的には1Fの「ダム%ウェイター」の二人とも、
2Fの「Who is…?」の人間とも接触を持たない。
表向きにはホームレスの格好をしているが、
天使とも悪魔とも、
ベンやガスの"今"ともとれる存在。

ベン こすぎこういち
兄貴分 

ガス  山岡弘征
弟分

〜今公演に寄せて〜

感想、種々、有ったと思います。いろいろと細工を施して、
結果あのような芝居にたどり着きました。
自分としては、思っていたような出来映えには、遠く及ばないものの、
枝葉はともかくも、しっかりした幹は提示できたと思っております。
勿論エンターテイメントとしての芝居の成否は、
この枝葉に負うところも大きいのですが。
今回皆さんに観ていただいたシチュエーションは、
全て見る人にとって移し替えられる様にと、構造上、設計されております。
1Fの2人は夫婦でもいいし、恋人でも良いし、兄弟でも良い、
親友でも戦友でもアメリカと日本でもいいのです。
2人は籠の鳥に象徴される地下室の閉鎖された空間の中で、
抑圧とストレスのために軋轢を増していきます。
それに対して、2Fの面々は、一見開かれた空間にいるにもかかわらず、
それぞれが自ら飛ぶ事の出来ない存在であるかのように限定している。
しかも、無意識にというより潜在的に。
何でも無い毎日の焼き直しの中ではなかなか顕在化しないストレス、
ないしはコンプレックスでも、停電など非日常的な局面になると噴き出てくる。
1Fと2Fの違いというのは、2人きりか、大勢いるかの違いです。
たったこれだけの違いが、上と下の世界のたどり着く結末を左右したのです。
そのことは、ダム%ウェイターに象徴されております。
この、料理昇降機は、両方の世界を行き来しますが、
それぞれの世界での受け取り方が正反対です。
仲裁役の不在な下では、まるで2人の溝を深めるかのように作用し、
大勢いる上では、時に、希望を託す道具になり、陽気に弄びさえします。
料理昇降機は、見る人にとってあらゆる物に形を変えて行くはずです。
軌範でありルールであり、
モラル、常識、道徳、或いは義務であったり責任であったり、
家族、血縁、人付き合い、あらゆる情であり、そして愛であったり、
・・・権力、職権や金権や親権、そして国家権力・・・つまるところ、
人知の及ばぬ力(フォース)、『神』と、或いは『御仏』か、
その様に形容されても差し支えないものなのです。

ダムウェイターの本を使うに当たり、一字一句換える事をしない、
いや、換える必要が無い、という前提でこの芝居を作り上げました。
ピンターはユダヤ人なので、
まるでベンとガスが流浪の民かの様に書いています。
それは文字どおり、今回出ていたホームレスにも象徴したつもりです。

それに引き換え、モーモーの連中には
あの牛丼屋が家であるかのような繋がりを持ち得ます。
ピンターの本はある種の具体性を欠いておりますから、
一見理解しがたいように感じます。
が、むしろそれこそが実態だと言う
既存の芝居に対するアンチテーゼにもなっているのです。
我々は生きながら多くの情報を手に入れ、
多くの経験を記憶の中から手繰り寄せています。

その記憶というのは、ある人には真実かもしれないし、
またある人には誤りかもしれないのです。
出来事の真偽を確かめる術があるとすれば、
求めた人が、どの断面を眺めたか?
という余りに希薄で危うい処方しかないのです。


 この芝居は、そういったピンターの芝居と同じく、
ただ眺めて提示された結果について判断を下すという類の芝居ではなく、
進んで自分にとっての出来事として具体性を与え、
自分なりの結末と判断を創造してもらえるように、
あらゆる可能性を残しております。

ある一つの解釈としては、2Fではストレスが単に発散されるだけではなく、
緩衝材としての3人目が存在する事によって、
生産性を持ちより強く人を結び付けています。
引き換え、1Fでは2人だけの為に、
ストレスがより強いストレスを呼ぶ結果になります。
そう導いていくのが1Fにとってはダム%ウェイターなのですが、
これを悪戯に弄ぶ者にとっては、
それがどのような結果を与えているかについてはお構いなし、
にもかかわらず、1Fでは大問題。
同じ出来事がまるで違う結果や印象を与えるわけです。
ですから、1Fは、明確な時や場所、時代、ひいては彼らが何者でどんな関係か、
性別すらも持たずとも大した違いは無いのです。
というより、何も明記されていないからこそ普遍性を獲得できるのです。
そういった意味で、明らかに日本でもなく今でもなさそうな原作は好都合でした。

そして、ラストシーン。
人生に明確なラストシーンや結末が用意されていないのと同じように、
ここでも1Fの2人は明確な行動に移れず、ただ向き合っているだけです。
 ここまで話してくるとお判りかと思いますが、
この後どうなるのかを我々が限定など出来る筈も無いのです。
それは、あなたが決める事です。

あなたが考え、創造して、あなたがこの物語を仕上げるのです。
いっぱい、素材を提供したつもりです。見たまんまの舞台装置は、
そのまんまこの芝居の構造を表していますし、
ホームレスという意思を持ってホームを持たずに自由に生きている男も登場させました。
どこにも時計はありませんし、時間だって相対化してその存在すら危ういのです。
あるひとにとっては、このホームレスが天使のように写ったり、
生き延びたベンなのか、ガスなのか、それとも死んだ後の幽霊なのか・・・
さぁ、創ってみてください。

"永遠の未完成、これすなわち完成なり"
〜人生に明確なピリオドなど存在しないのだから〜


〜観客の声〜


1階の「ダム・ウエイター」部分が素晴らしく緊張感の漲る、
ストイックで完成度の高いお芝居だった一方で、
2階の「もーもー」部分が散漫だったような気がします。
1階で高まったガス圧が2階で炸裂せずに
不完全燃焼していたように見えました。
つまり、その、1階が密室で壁の内側で内向的に
テンションを高め集中していくところに、
観客の意識もぐいぐいと引き込まれていたのだけど、
それにつりあうように2階は外側に開放していく方向に
テンションを高めていってほしかったとおもいます。
1階の閉鎖的な空間の中で2人の間で独特な緊張感がうまれ、
「ガス」が出ないことや、
二人の「仕事」から派生するストレスがそれをさらに高めて、
二人の間に摩擦や軋轢が生じ「料理昇降機」が起動し
無意味な注文を送ってくるようになり、
狂気を産みだしていく過程にシンクロして、
2階では個性豊かな登場人物たちが
「ガス」が止まることによって「仕事」の遂行が不能になり、
「仕事」によって抑圧されていた人間関係が開放されて、
さらに停電によって非日常の空間が生じて
登場人物のテンションが高まり、
人物間の摩擦や軋轢の
原因となっているそれぞれが抱えている内面の問題をさらけ出し、
開放してゆき、さらに「料理昇降機」の起動によって狂気の域に突入し
クライマックスのバースデイパーティーで大団円をむかえ、
1階で内向的に高まった「ガス」が2階で
開放的に爆発するというのを見たかったです。
ラスト付近のハッピーバースデイは
生のバイオリンをもっときかせて力強くごうごうと歌われてほしかったです。
生のバイオリンがあまり効いていなかったように思います。
停電以降の2階は吉本新喜劇的な
陽気なテンションの高さが欲しいと思いました。
1階と2階の出来事や台詞がシンクロするところは
頓知が効いていてとてもおもしろかったです。

こんにちは。いきなりKarla with a kがかかったので、
興奮してしまいました。
HOOTERS大好きなもんで。
話しのテーマ、特に三井正の悩みなんかが
そのまま自分にシンクロして、
非常にいろいろなことを考えさせられました。
そして、この問題が提示されるだけで
解決の糸口さえも(私には)見出せなかったので、
既にこのテーマについて毎日思い悩み解決できずにいる私にとって、
非常にきつい内容でした。
(恐らくこれは自分に甘えがあるからなのでしょうが)
上の牛丼屋のキャスティングははまっていてとてもよかったです。
(以後上は牛丼や、下は秘密結社をあらわす)
台詞なんかもとても日常的で解りやすかったです。
問題は下の方なのですが、
秘密結社というものが非日常的かつ非日本的なので、
私にはいまいち飲み込みきれませんでした。
また、乞食の人の存在理由もよく解りませんでした。
このあたりは原作にこだわって、
あえて崩さなかったところなのかとおもうのですが。
また、崩してでも現代日本にあてはめようとしても、
なかなか難しいかもしれませんが。
それと、上と下のつながりは、実際に平行して存在するものなのか、
それとも、時間や空間を越えて、
なぜだかつながっているものなのかがはっきりとしませんでした。
牛丼屋は、恐らく現代でしかも日本であるとおもいます。
秘密結社の方は、
日本でもなく(牛乳の量の単位からも解る)恐らく現代でもない
(こっちは根拠なし)と思うのですが、
この時空を隔てた二つの空間が料理昇降機によって
何故かつながってしまっている設定なのか、
これらが同時代に同じ場所に
存在するものとする設定なのかが解りませんでした。
それともそんなことはどちらでもよいのでしょうか。
終わりの方の、それまでシンクロさせながら別々に
やっていた上と下の出来事が同時進行になるのは、
私の頭ではついていけませんでした。
(あそこが一番の見せ場なんでしょうけれども)
上をみると下が、下をみると上がわからなくなってしまいました。
これは私の精進が足りないからなのでしょうが。
エンディングもいまいちピンとこなかったです。
正直言って何がどうなったのか解りませんでした。
結局の所、やはり観る側の私の勉強不足が大きく、
細かいところまで理解することはできませんでしたが、
大まかなテーマは理解できたとおもいます。
この提示された問題に対する答えを出すべく精進しようとおもいます。
基本的にこういう話しは大好きです。
2つの別の話しが平行していって結び付く。
裏と表というか光と影というか。

今日は実に充実した舞台を見せていただいてありがとうございました。
S・E・T(スーパーエキセントリックシアター)と野田秀樹の
舞台と笑う犬を足したような舞台でした。

先日は、楽しませていただきました。
よかったですよ、とても。流れとしては、とてもよくわかりました。
1セットだけで、全てが終わるシンプルさ。
上と下で繰り広げられた、『言葉のあや』については、
とても面白く感じました。
とにかく、原作を見てみたくなりました。
あのような小さなホールでの観劇は、
見ているものを引きこむ何かがあるように感じます。
ドラマや映画なんかよりも、生の芝居・舞台がやっぱり面白い。
次回の公演を期待しています。
それでは、頑張って下さい。

あのときは、その"何か"が何なのかがよくわからなかったので、
うまく書くことができませんでした。
また、ただ漠然と面白かった、
よかったなどという感想はそこいらじゅうからくるのだろうし、
そんなことを書いて
社交辞令やお愛想のように思われたくはありませんでした。
そして芝居というものがよく解っていなかったので、
その程度にしか、「よかったです」と言いきる自信がなかったのです。
そこで、非常に"何か"を感じたのは前提として置いておいて、
とりあえず残った疑問を書いた次第です。
この"何か"を感じたという前提をしっかりと
伝えきれる文面ではなかったとおもうので、
大変失礼であったと考えるのです。
私の疑問はもっともなものであり、かつ、
愚かなものであることがわかりました。
私がわからないとおもっていたことは、
結局観る側に判断を任せるために
自由度を持たせた部分だったわけですよね。
今回の場合は、上演する側が全てを作るわけではなく、
観る側の主観によって色付けされて
はじめて完成するものだったのかと理解しました。
いってみれば、今回の私の質問は、
好きな色に塗りなさいという暗黙の了解の元で差し出された
「ぬりえ」に対して、ここは何色なのか?
そこはどんな色なのか?
という質問を繰り返していたようなものだったわけですよね。
このルールをふまえた今、自信を持って感想を書かせていただきます。
とても"何か"を感じました。
本当はよかったですとも言いたいのですが、
私のようなものが、
よかったなどというのは失礼におもえるので、
あえてよかったとは言いません。
だけれども、非常に大きな"何か"を感じました。

前略!ガス殿…素人からの感想です。
「Who is…?」見させて頂きました!
「むずかしかった」と言うのが私の率直な意見です!
原作を知らない私が判断したところ、
一階の部分がハロルド ピンターの原作に近い所なのでしょうか?
二階部分が「皆様の身近に感じられる…」といった世界なのでしょうか?
舞台の暗転、セリフ、キーとなる「ダム ウェイター」の場面、
ベンとガスの「葛藤」モーモーの人達の諦めとも言える「世界観」、
籠の中の鳥が、実はその「境遇」に満足していると言う
「安心感」(この言葉は正しくないのだけれど、
オレの中で他に思い出せなかった)、
ホームレスと思わしき人に傘を置いてあげる「やさしさ」…。
他人行儀な現代にも、確かに人々を和ませる事柄が、
目立たないけど存在している…共感できる場面はたくさんあった!
ただ、主役が見つけられなかったのです。
表現したい事は、ヒシヒシと感じられたんだけど、
確信が出来なかった。
俺の思ったとおりに受け止めて良いのだろうか?
と言う不安が芝居を見終えた後に残りました。
「タイム パラドックス」として捉えるべきなのでしょうか?
「不運な偶然」として悲しむべきなのでしょうか?
いろいろと考えずに入られない「体育の日」だった訳です!
一生懸命な皆さんが俺に頑張れ!
と言ってくれてたよ!ありがとう!
この芝居を、また演るはずだと思います。

感想を寄せて頂いた観客の皆様、有難うございました!
次回作にも貴重な御意見をお待ちしております。



Ending Theme


LAST NIGHT I DREAMT THAT SOMEBODY LOVED ME ―The Smiths―

Last night I dreamt
That somebody loved me
No hope - but no harm
Just another faise alarm
Last night I felt
Real arms around me
No hope - no harm
Just another false alarm
So,tell me how long
Before the last one?
And tell me how long
Before the last one?
This story is old - I know
But it goes on
This story is old - I know
But it goes on

対訳
サムバディ ラブド ミー     ザ スミス

夕べ夢を見たんだ  誰かが僕を愛してくれる夢を
何の希望も無い  だけど傷つくこともない

また例によって期待外れの夢のお告げ
夕べ誰かの腕の中で眠っているような気がした
何の望みも無い  だけど傷つくこともいい
またいつものように人騒がせな誤報 さぁ教えてくれよ 

一体いつになったら終わるんだ?
一体いつになったらまさ夢を見れるんだい?
こんな話しは古臭い…わかってるさ  
だけどこれからも続くんだ

こんな話は語り尽くされているーわかってるよ
だけどこれからもずっと続くんだ

 
theatrical factory office force
e-mail:info@officeforce.jp
All Right Reserved. Copyright (C) theatrical factory office force
劇団 theatrical factory office force